鎌倉時代の承久3年(1221)、承久の乱が治まり、鎌倉幕府の御家人である東胤行が郡上郡山田荘の地頭に任ぜられました。東氏は大和町剣に阿千葉城を築き、拠点としましたが、十四世紀に入ると、大和町牧の篠脇城へ移りました。篠脇城の麓には、東氏の館が築かれ、美しい庭園が設けられたことが発掘調査によって確認されました。特に庭園は当時のままに保存され、国の名勝に指定されています。
東氏は代々、文化的素養が高く、特に歌道に優れていました。郡上東氏初代の胤行は、藤原定家の子である為家に歌道の奥義の伝授を受けたとされ、それは代々東氏によって受け継がれていきました。そして9代にあたる東常縁から連歌師である宗祇に行われた歌道の伝授が、「古今伝授」としてよく知られています。
また、応仁2年(1468)、東常縁が郡上を留守にしたとき、美濃国南部にいた斎藤妙椿が侵攻し、篠脇城が攻め落としました。悲しんだ常縁は和歌を詠み、それを伝え聞いた妙椿は常縁の和歌を所望しました。常縁はすぐさま和歌を贈ると、妙椿はその和歌に心打たれ、元の通り東氏の領地を返したとされています。
中世(鎌倉・室町・戦国時代)
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