高鷲地域は「白山国立公園ひるがの高原」を有する分水嶺のある高原地帯です。夏は避暑地として、冬はスキーやスノーボード等、ウィンタースポーツのメッカとなります。
はじめに
高鷲地域は、清流として名高い長良川の源流に位置し、東には鷲ヶ岳、西には大日ヶ岳がそびえる、静かな山あいの里です。かつては、冬期間はしばしば雪に閉ざされるような山村でした。 先人の努力や開拓の歴史を経て、今では"三白産業"(「大根」の白、「牛乳」の白、「雪」の白)を中心に農業を基盤とした観光産業が盛んです。
歴史
5-6千年前から人が住み始めたといわれる高鷲町。平安時代の斉衡2年(855年)、武儀郡を分かって郡上郡が建郡されたころ、鷲見郷八ヶ村、すなわち鮎走、正ヶ洞、向鷲見、中切、穴洞、鷲見、西洞、切立の各村となっていました。この八ヶ村を鷲見(すみ)と慣用することは、明治の中ごろまで続きました。
明治8年(1875年)1月、第1回町村合併が行われ、これら八ヶ村は鮎立村(鮎走、切立が合併)、大鷲村(正ヶ洞、中切、穴洞、向鷲見が合併)鷲見村(鷲見、西洞が合併)の三ヶ村となりましたが、ほどなくして鷲見村が元の二ヶ村に分割され、四ヶ村となりました。
明治17年(1884年)これらの村を連合して組合役場を設立しました。
明治29年(1896)4月、郡廃置及び郡界変更に関する法律が公布され、翌30年(1897年)4月からこれらの村を一ヶ村として発足することとなり、新村名を高鷲村と命名されました。 その後107年がたち、平成16年(2004年)3月1日に郡上郡七ヶ町村が合併し郡上市となりました。