明宝は、山と川に囲まれた地域です。春は桜や花桃、夏は渓流釣り、秋は紅葉、冬はスキーなど四季を通じて楽しめます。
歴史
明治22年7月、町村制が実施され現在庁舎がある二間手地区を役場の所在地とし、名称を「二間手村外六ヶ村組合役場」としたのが明宝村の歩みの始まりです。
その後明治30年、組合組織を廃止し村名を「奥明方村」に、昭和45年4月には「明方村」、そして平成4年4月1日より現在の「明宝村」へと115年という歴史の中で幾度もの村名変更を経てきました。
特に昭和から平成へと時代が移りゆく中、近年の明宝村は過疎からの脱却を目指し、通年型観光立村と若者たちの定住の実現に向け、前村長(故高田三郎氏)の手腕により観光開発や産業振興などによる地域活性化施策が行われ、当時5つの第3セクター企業が設立され、観光面や安定した雇用確保に大きな効果をもたらしました。
その事によりかつては2万人ほどしかなかった観光客が、毎年県内外より100万人以上四季を通じ明宝を訪れ、活気あふれる村に成長しました。
また歴史をさかのぼること戦国時代、かの「宇治川の合戦」において、源頼朝が遣わした武将梶原源太影季に漆黒の馬「磨墨(するすみ)」を与え、時を同じく名を馳せた「池月」とともに見事に先陣争い演じ、後生までその名馬の名が語り継がれました。
その「磨墨」が明宝の気良地区の産とされており、郡上おどりの「春駒」の一節にもその名が唄われているほどです。現在でも明宝では名馬磨墨の里として、その名の下に産業振興や文化活動面においても顕彰され続けています。
その一世紀以上もの長い村政の中で、いにしえの伝統文化と将来を見据えた地域活性化との調和を保ちつつ成長してきた明宝村に、平成16年3月いよいよ「郡上市」として新たな歴史の一項を刻むこととなりました。