「郡上東氏800年・古今伝授550年祭」とは
2021年は、鎌倉時代のはじめから室町時代のおわりにかけて、郡上市大和町を中心に一帯を収めた領主一族である東氏が、承久3年(1221年)の「承久の乱」の戦功で当地を加領されてから800年目に当たりました。あわせて、9代目にあたる東常縁(とうのつねより)が、宗祇へ古今伝授をしてから550年目の年でもありました。
郡上市では、この二つの節目が重なる2021年から、「郡上東氏800年・古今伝授550年祭」として、東氏ゆかりの文化遺産の検証と、これらを生かした地域振興事業をスタートさせました。
2024年3月までの間に、東氏の歴史や文化遺産を紹介する講座・講演会を開催したり、地元の小学生が出演した創作オペレッタ「東氏ものがたり」を制作上演したりしました。東氏のいわばふるさとといえる東庄町(千葉県香取郡東庄町)他との交流もすすめました。
また、東氏の歴史や文化を地域経済振興に活かす実証事業として、「郡上東氏800年・古今伝授550年祭実行委員会」が主宰する「郡上東氏800年・古今伝授550年祭認定商品」制度も実施しました。
講座などは終了しましたが、創作オペレッタ「東氏ものがたり」は、これから10年間は、大和小学校で継続上演される予定です。郡上東氏800年・古今伝授550年認定商品制度は、2025年3月末まで継続します。(認定商品は、市内の道の駅や古今伝授里フィールドミュージアムなどで紹介しています。)
東氏と郡上市の歴史
鎌倉時代から室町時代の終わりにかけて、実に340年以上にわたり、郡上郡山田庄(現在の郡上市大和町を中心とした一帯)を治めたのが、東氏という一族です。東氏は、もとは、下総国(現在の千葉県北部他)に拠点をもった有力武士団・千葉氏の一族でしたが、承久3年(1221年)の承久の乱の戦功をきっかけに、この地を与えられ、やってきました。
東氏は、鎌倉幕府や室町幕府の将軍に仕えた武士であるだけでなく、和歌に優れた才能をもった一族でした。当主の中には、鎌倉幕府将軍と和歌を通じて交流していた人もいます。また、天皇などが編集を命じた「勅撰和歌集」に、一族で72首もの和歌がおさめられています。1首でも選ばれると大変な名誉だとされた時代ですから、東氏は優れた和歌を詠む一族だったといって過言ではありません。
中でも、郡上東氏9代目東常縁は、和歌の研究者であり、当時の和歌の教科書ともいえる『古今和歌集』の解釈などを、師から弟子に伝える「古今伝授」の祖といわれます。特に、東常縁が連歌師宗祇に古今伝授を行ったことは、文学史に刻まれるできごとです。
その後、室町時代のおわり(戦国時代初期)、東氏は、一族の遠藤氏に滅ぼされ、歴史の表舞台から姿を消します。東氏の後を継いで郡上を治めた遠藤氏は、八幡城を拠点とし、現在の城下町・郡上八幡を整備しました。その中で、宗祇水(白雲水)を整えるなど、東氏を顕彰しました。
東氏と古今伝授の里づくり
郡上における、東氏の最初の拠点は、阿千葉城でした。その後、篠脇城に移り、230年ほどここを拠点にしました。最後は、赤谷山城(現在の郡上市役所本庁舎の裏山、吉田川を挟んで八幡城の向かいにある山城)を拠点としました。
東氏は、前項のように、一族の遠藤氏に滅ぼされます。東氏の史跡のうち、篠脇城跡は知られていましたが、館の跡はながく不明のままでした。
大きな転機となったのは、昭和54年のことです。ほ場整備の最中に、地中から陶磁器片が出土したことを受け、緊急発掘調査が実施されました。すると、東氏の館跡と比定される遺構が出現しました。この遺構は、昭和62年に「東氏館跡庭園」として、国名勝に指定されました。
それをきっかけに、東氏にちなむまちづくり「古今伝授の里づくり」がスタートしました。「古今伝授の里づくり」とは、東氏の歴史的遺産や文化遺産などを活用した地域振興事業です。
平成5年に開園した「古今伝授の里フィールドミュージアム」を、拠点の一つとして、東氏の歴史的遺産や文化遺産などを活用した地域振興事業を進めています。
その後の取り組みは、「大和エリアの沿革」「大和エリアのみどころ」をご覧ください。