1.地勢と歴史
位置・面積
郡上市は、岐阜県のほぼ中央に位置し、東を下呂市、北を高山市、西は福井県、南は美濃市及び関市に接する、面積1030.75km2の山間地域です。
地勢
地勢は、長良川の源流域を形成する森林地帯が市全域の90%を占め、長良川源流部にあたる大日山麓一帯にはひるがの高原、上野高原が、明宝水沢上一帯にはめいほう高原が広がり、清流・長良川をはじめ、和良川、石徹白川など24本の一級河川が流れる、水と緑に恵まれた地域です。
また、市の最北部に位置する白鳥町石徹白地区と高鷲町ひるがの地区は、太平洋と日本海の分水嶺となっています。
気候
平成16年度の平均気温は、市役所本庁舎のある八幡地域で12.7℃、市南部の美並地域においては、15.6℃となっています。 また、北部の白鳥地域では、11.5℃、北端の高鷲地域では、6.8℃となっており、高鷲地域と美並地域では、大きな気温差があります。
年間降水量においても、北部の高鷲・白鳥地域では、約3,000mm-4,000mmの間であり、2,000mm台の八幡・美並地域に比べて、降水量が多く、約90%を占める山林の高い水源涵養能力によって、美しく豊かな水に恵まれた地域であるといえます。気温差・降水量ともに変動はありますが、北部においては、南部に比較して平均気温が低く、降水量が多い傾向にあります。また、市北部は、積雪の多い地域でもあり、市域の南北で気象条件は大きく異なります。
歴史
郡上市は、古代から、交通や軍事の要所として発達していた地域とみられ、数多くの貴重な遺跡が確認されています。
奈良時代初めには、泰澄大師が白山をひらき、白山中宮長滝寺を創りました。ここは、白山信仰の拠点の一つとして、鎌倉・室町時代を中心に隆盛を極め、朝廷や武士からの信仰を集めるとともに、その信徒は駿河国(静岡県)にまで及ぶほどでした。
平安時代になると、郡上市のもととなった郡上郡が成立します。鎌倉時代には、承久の乱の功績により、下総国(千葉県)の豪族・千葉氏一族の東氏が、篠脇城を拠点とした郡上郡山田庄(大和・白鳥地域と八幡地域の一部)に入り、以降約330余年に亘り、一帯を支配しました。 この東氏は、和歌に優れた一族で、歌人藤原定家の流れをくみ、勅撰集に多くの作品が残されています。なかでも第9代東常縁から連歌師・飯尾宗祇への古今伝授は、文学史上大変重要な出来事とされています。
戦国時代、東氏を滅ぼした遠藤氏は、八幡城を築き、城下町を整備しました。以来、約310年間、稲葉氏・井上氏・金森氏・青山氏各藩主の元、この城を中心に、郡上藩として統治されました。
江戸時代は、宝暦騒動(郡上一揆)など歴史を動かす百姓一揆が起きましたが、郡上おどりをはじめとする大衆文化が爛熟した時代でもありました。
明治4年(1871)、廃藩置県により、当地は郡上県となりましたが、ほどなく岐阜県に編入されました。
2.人口
人口の推移
平成12年の国勢調査によれば、現在郡上市となった旧7町村の総人口は、49,377人であり、前回調査の平成7 年の数値に対し、約1,400人(約2.8%)の減少となっています。平成14年から17年までの人口動態調査結果においても同様の傾向を示しており、緩やかながらも依然人口の減少が進んでいます。
一方、世帯数は、平成12年の国勢調査で14,773 世帯となっており、人口とは逆に増加傾向を示しており、世帯分離の傾向が進んでいます。平成17年4月1日現在の郡上市の人口は48,191人、世帯数は15,156戸となっています(いずれも人口動態調査による)。このうち、八幡・大和・白鳥地域における人口の割合が、73.8%となっています。
人口構成
平成12年度の国勢調査結果から年齢別人口の構成をみると、年少人口が15.8%(平成2年から3.2%減)、生産年齢人口が57.0%(同5.2%減)、老年人口が27.2%(同8.3%増)となっています。同年の旧7町村の合計特殊出生率の平均値は、1.77(国立人口問題研究所による)となっており、現状で、人口を維持するために必要な2.08を下回っています。
また、平成17年の人口動態調査における人口構成比は、年少人口が14.3%、生産年齢人口が56.4%、老年人口が29.4%でした。
以上のことから、本市においては、少子化、高齢化の進行に伴い、生産年齢人口の減少が進んでいることがわかります。